「述懐」その3

 今回は少々気恥ずかしい思いはするが、自分なりに恋愛の類について少し考えてみたいと思う。前回のコンプレックスとの繋がりも少なからずあるだろう。
 最近はどうなのかは知らないが、世界の中心で叫んでいる連中がいたり、ワゴン車に乗って無職の夢しかない連中が放浪していたりとおめでたい世の中である。なるべく世の中を斜めに生きていける人間になっていこうと思う。野球は巨人で音楽は浜崎に青春パンクといった、日本人の最大公約数みたいな人たちとは馴染めないと思う。かといって自分が時流に流されない筋が通った人間なのかといえばそうではないが。
 本題に戻ろう。先も述べたように自分はどうしようもない劣等感の塊であり、人に対して相当な負い目を感じることが多々ある。それを諦めて切り捨てていくことによって今の自分を手に入れているような気がする。恋愛の類について言えば、クリスマスやバレンタインといった行事に外へ出ることに何の感慨も感じなくなったし、街中でいちゃついているカップルがいても怒りも哀れみも感じることがなくなった。悟ったといっては言いすぎなのかもしれないが、所詮この程度の矮小なる自分だという自覚ができてきたのではないだろうか。
 「一人暮らしをすると人恋しくなる」という話をしばしば耳にする。最初のうちはそうなのだろうかと考えていた。しかし実際に大学を出て、一人暮らしを始めて2ヶ月程度になるがまったくその気配が現れないのは何故なのだろうか。確かに自分の生活のために為すべきことを為していかなければ生きていけない。それと孤独感によって、という感じに陥ると思うのだが、今はそれを感じさせない量のコンテンツとタスクが目白押しだ。以前からこの日記に目を通している人はうすうす感じているのかもしれないが、自分の日記には大抵の場合「〜せねば」「〜しなくては」といった言い回しが頻発している。タスクの量というものはこのあたりに現れるのかもしれない。最初は一人暮らしを始めるにあたって、荒れ放題の家でひっそりと暮らすことになるのかと思っていたが、思ったより片づけをせねば落ち着かないし、その時間を割く努力も極力するようにはなっているようだ。
 結局何が言いたいのか自分でもよくわからないまま、相変わらずの衝動で書いているところだが結論としては「諦めは肝心だ」というところに戻るだろう。栄華を誇り、巨万の富を手に入れる人間、自分のやりたいことだけをやって生きていける人間はごく少数に限るものだろう。ただそれで力を抜くことを考えているという訳でもない。「癒し」と「ゆとり」のせいでこんな状態になってしまったのだろうに。誰もが夢を見ていられる時代なら、寝ているも同然だ。もっと肩の力を入れて生きていく。ぶつかられても痛くないように。